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医療従事者の皆様へ

見送る:寺嶋周先生への感謝

2016/11/21

元帝京大学医学部市原病院(現帝京大学ちば総合医療センター)小児科教授 寺嶋周先生の訃報に接したのは9月14日、同門(千葉大学医学部小児科)のI先生からの電話によってだった。私は翌日からバルセロナでの学会に出発の予定だった。迷ったが、ご葬儀には妻のみが参列させていただいた。
寺嶋先生は、千葉大学医学部小児科、埼玉医科大学小児科、帝京大学付属市原病院を歴任され、小児科医療の発展にご生涯をかけてご尽力された。また、日本感染症学会の評議員も務め、小児感染症分野での重鎮でもいらっしゃった。私は医学部山岳部の後輩としても、小児科学教室の後輩としても、親しくお付き合いいただいていた。

ここに追悼文を掲載するにあたり、私は特に個人的な思い出を書こうと思う。というのも、寺嶋先生ご夫妻に私ども夫妻は結婚の媒酌人をしていただいた。寺嶋先生を追悼するにあたり、そのご縁ご恩を改めて思い返さざるを得ないからだ。

市川の寺嶋先生宅をお訪ねしたことは三度ある。
初めてお伺いしたのは、結婚の仲人をお願いするためだった。私は昭和59年卒で、当時は卒業から小児科医局入局まで1か月近くのインターバルがあったので、その間に結婚式と新婚旅行をしようと目論んでいた。だからお宅にお伺いしたのは59年が明けてすぐのことだったと思う。そのころ寺嶋先生は埼玉医科大学にご勤務されていた。
結婚したいと思っていること、相手のこと、自分と相手の家のことなどをお話しした。寺嶋先生の第一声は「僕に仲人を頼んでくるなんて、親に反対されている結婚かと思ったけれど、そうじゃないんだね、よかった。おめでとう」。事前に電話で、結婚の仲人をお願いしたいのでお邪魔させてくださいと伝えたので、先生は「これは親に反対されているんだな、駆け落ちだったらどうしよう」と思っていらしたのだという。
山岳部の尊敬する先輩であり、小児科入局後は医局の先輩にもなる先生に仲人を依頼するというのは、私にとってはごく自然なことだったが、先生は、山岳部のずいぶん下の代の黒木がなにやらかしこまって・・・難題を持ち掛けてくるのではないか、と思われたのだという。和やかに笑って、快諾くださり、そうしてお宅を辞するときに、先生と奥様はお二人で家の門の前に立ち、いつまでもこちらを見送ってくださった。歩き出してしばらくしてからふと気配を感じて振り返ると、先生と奥様はまだこちらをじっと見ながら立っていてくださった。
二度目はそれからあまり間も置かない4月の末だった。新婚旅行のお土産をお届けに行ったのだ。妻の両親が「お仲人さんにはそうするものだ」と教えたので、その通りに履行したわけだった。のどかな時代だったと思うが、医師免許が交付されるまでの休暇期間を、私は結婚にまつわる約束事を務めることに充てたのだった。
三度目は、翌年の晩秋、生後2か月の長女を連れて、子どもが生まれたご挨拶に伺った。これも「お仲人さんにはそうするもの」という流れの中でのことだったが、同時に、その年(1985年)の9月から2か月半にわたって私が参加した、千葉大学のブータンヒマラヤ遠征の報告も兼ねていた。初登頂を果たすことができたナムシラという6,000メートル峰の写真を持参し、遠征の話をした。
遠征に出発した後で初めての子どもが誕生したこと、妻が赤ん坊の声を吹き込んだカセットテープをブータンの首都ティンプーのホテルに送ってきたこと、ポーターがマラソンリレーでそれを登山のベースキャンプに届けてくれたこと、しかしベースキャンプにはカセットテープを聴く機器がなかったこと・・・笑いながら聞いてくださった先生は、「君は奥さんに一生返せない借りができたね」と。
奥様が応接間に赤ん坊を寝かせる場所をしつらえてくださり、「可愛い可愛い」とおっしゃってくださって、数日前に赤ん坊と初対面したばかりだった私は、照れ臭いような嬉しいような気持ちでいっぱいになった。アップライトピアノの上に人形がたくさん飾ってあり、奥様はその一つを取って長女をあやしてくださった。先生のお宅もまだお子様が小さかった頃だったのだ。
二度めの時も、その三度めの時も、帰りには先生ご夫妻は門の前でいつまでも私たちを見送ってくださった。
大学を卒業したばかりで、人との丁寧なお付き合いということを何も知らなかった私は、いつまでも見送ってくださるということに非常に驚き、感激した。

その後、寺嶋先生とは様々な場面でご一緒させていただいたが、今、訃報に接して一番に思い起こされるのは、あの、いつまでも見送ってくださっていたお姿だ。柔和な笑みを浮かべて立っていらしたお姿が目に焼き付いている。

そうして思いがけず、こんなに早くに、私が寺嶋先生を遠くの世界へお見送りする立場になってしまった。見送るということを教えてくださった先生を、お見送りする。いつかまたお会いできる日を思いながら。

合掌。

2016年11月20日 記す    黒木春郎

 

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